Biofilm(バイオフィルム)
バイオテクノロジーに代表されるバイオのつく言葉は最近よく耳にするようになりました、これらの言葉は人類の明るい未来を予感させる言葉が多いようです。しかし今回のお話はバイオが入っていますが、少し暗めのお話です。
バイオフィルムとは、自然界に広く存在する微生物の集団です。ぬるぬるしたムコイド状の細菌の塊で、おのおのの細菌が糖衣と呼ばれる多糖体の衣をつけ、集団生活を営み、外的から身を守っています。下水管のぬめりが身近な例です。そしてもっと身近な例は歯周病や虫歯の原因となるプラークもバイオフィルムなのです。
細菌がプランクトンのように自由に動き回る状態(浮遊菌)では、うがいをしただけで簡単に細菌は除去されます。しかし細菌のものに付着する機能が働いて、歯の表面に付いて、糖衣を放出し、そこに増殖した菌を住まわせてバイオフィルムを形成し少しずつサイズを増大させていきます。バイオフィルムは粘着性がありはがれにく、水分は適当に通過し栄養源を取り入れることができ、また糞(代謝産物)を排出する機構もあります。中心部の菌は代謝活性が低く冬眠状態にあり、周囲に負担をかけず、いざという時に備えています。バイオフィルムの表面に近いところにはいきのよい菌が存在し、浮遊菌として放出され、新天地を求めまた新しいバイオフィルムを作っていきます。細菌同士が互いにシグナルを送ってこれらのシステムを保っています。微生物でありながら、種を保つためにこのような合目的で組織的な活動が行われているのは驚異的です。高度な文明や頭脳を持った人類が、利害や主義で互いに争って相手の存続を脅かす姿を見ているとなんとも皮肉な感じがします。
さて、微生物の営みに感心ばかりしている場合ではありません。私たちにとっては敵 ですのでバイオフィルムに対抗する手段を考えねばなりません。医療の分野でバイオフィルムが注目され始めたのは10数年前のことでした。抵抗力の弱い高齢者や、元々肺に病気のある患者さんの慢性の気管支炎や肺炎に抗菌薬を使ってもなかなかよくならないことがありました。
患者さんに抗菌薬を使う場合には、感染症を起こす菌(原因菌)との相性を調べます(感受性テスト)。つまり患者さんから原因菌を採取し、いくつかの抗菌薬を試験管の中で合わせ抗菌薬の効果を調べます。そして有効と判断された薬をその患者さんに投与します。このようにして効率よく細菌を死滅させて感染症を治していきます。しかし慢性の気管支炎や肺炎にはなかなか効果が上がらないことがありました。その理由を詳しく調べてみると原因はバイオフィルムだったのです。バイオフィルムが抗菌薬の細菌内への侵入を妨いでいたのでした。そこでバイオフィルムを溶かす薬を抗菌薬と併用したり、抗菌薬の中でバイオフィルムを溶かす作用のあるものが開発されたりしましたが、一度できたバイオフィルムを溶かすのはなかなか大変で数ヶ月という長期にわたる薬剤の投与が必要となり、今でもこのタイプの感染症は、難治性のものとなっています。
歯周病もバイオフィルム感染症ですが、肺と大きく違う点は、バイオフィルムを物理的に取ることができる点です。もし歯ブラシではなく肺ブラシなるものが使用可能で、バイオフィルムを掻き落とせれば慢性肺炎、慢性気管支炎という病気自体がなくなるかもしれません。
さて口の中のバイオフィルムが、歯垢、プラークと呼ばれていたことは先ほどお話しましたが、細菌にとっては口の中は決して居心地のいいところではありません。唾液は暴風雨どころか洪水のように細菌を押し流し、食べ物の通過はなだれのように細菌を巻き込んで取り去ってしまいます。しかしそれでは一度完成されたバイオフィルムは容易に除去されません。それ程バイオフィルムは強靭なものなのです。
それを取り除く切り札がブラッシングです。バイオフィルムを溶かす作用をもったうがい薬や歯磨き粉を最近多く見られます。これらの効果を全く否定はしませんが、ブラッシングなしではバイオフィルムの除去は望めません。「学問に王道なし」という言葉がありますが、「プラークコントロールにも王道なし」といえると思います。